英雄を必要としない国家


「ローマは英雄を必要としない国家である」とは、ローマ人の物語のハンニバル戦記に出てくるくだりですが、共和制ローマは個人の突出を避けていたという特徴がありました。
これは単純化すると独裁者の出現を恐れるということなのですが、そのためにかなり集団指導に固執することになりました。
結果としてはそれが機能不全を生み、英雄を次々輩出して、帝政ローマが誕生するので、皮肉もいいところですが、個人の突出を嫌うという点では日本にも共通の土壌がありますよね。

日本の場合は別に独裁者の出現により個人の権利が侵害されるのがいやとかそういう考えではなく、むしろ安定や安寧への愛着、悪く言うと無責任に根拠があるのでしょう。

ただ、英雄になりうるような個人がいないのではないかなという考えも持ったことがあります。
明治時代の元勲である陸奥宗光の書いた日清戦争の回顧録 「蹇蹇録(けんけんろく)」を読んでいて思ったのですが、国家を挙げての戦争遂行という難事に全身全霊をあげて取り組んでいたのが分かって最初は情緒的に感心したのですが、カエサルのようにすべてを陽気にすすめるとまでは行かなくても、世界の歴史を振り返ればそれくらい余力あるままに成し遂げてしまう人は結構いるわけで、大戦後疲れのせいか燃え尽きてしまったことを考えると人物が小さいような気がしました。

私は陸奥宗光ほども能力がないので大したことを言えた立場ではありませんが、日本人の成し遂げたことにはなぜこう悲壮感みたいのがついてまわるのでしょうかね。
プロジェクトXもプロジェクトを進めていた親玉が過労死とか病魔に倒れたりとかそんな話ばっかりで、その遺志を継いだみたいな悲壮感漂うのばっかりです。

日本で「個人」というとあくの強い人に行き着いてしまいますが、ユリウス・カエサルみたいなどんな人からも認められ、あるとあらゆる事を陽気にできてしまう天才は日本からは生まれないんでしょうかね。

About Arakawa

サラリーマン経験のある弁護士兼社会保険労務士 このサイトでは、ビジネス関連の法律ニュースをもとにして私見をお送りするブログです。 ●筆者紹介 埼玉県立川越高校卒 東京大学法学部卒 東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了(法学修士) 専攻・国際私法、国際取引法、会社法 某企業で法務担当というよりむしろ労務担当 東大ロースクール修了 新司法試験合格 弁護士登録 現在,弁護士兼社会保険労務士です。

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