日経日曜版でなかなか面白いコーナーであると個人的に感じている「熱風の日本史」の欄ですが,今日は三井三池闘争でした。
結果が結果ですので,批判的なトーンで取り上げていましたが,社会の変化などに対応できなかったなどの問題はあるとしても,日本の縮図というかすべてが詰まっている事件です。
同調性を強く求める日本人の気質から生じてくるいやらしさが組合間の対立の場面で発揮されてしまうところはまさに特徴的です。国鉄など他の場面でも出てきますが,隣人に対する憎悪というのは恐ろしいものであり,取り返しのつかない亀裂を生むことになることが改めて思い知らされました。炭鉱労働組合は今日ではもうありませんが,旧国鉄の組合間対立で生まれた対立は今日まで続いており,まだ完全に過去の問題にはなっていないわけです。
さて,さらにというか一番特徴的なのは,三井三池をこんなことにしてしまった思想的な首謀者である向坂逸郎は,まったくもってブルジョワで,進歩的な人間の性で,マルクス主義に新鮮さを感じ,その実験をはからずも炭鉱労働者たちでしてしまったということでしょう。
アメリカでも猫をかわいがるかのように労働者をかわいがるマルクス経済学者がいて,どれも大金持ちだそうですが,そのミニミニ版は日本にもあったわけです。
自分でするわけでもない泥臭い闘争を指導する立場に酔うというこの構造ですが,これ自体は日本の特徴ではなく最終戦争までは指導的な立場を容認している共産主義的思想に根拠があるわけです。この指導する立場に立つのは自分だともって任じた人間たちによってどれほどの悲劇が起きてきたのか,そして当人たちはいかに無責任で無邪気あったかを知ると,やりきれない思いがします。
労使協調路線になって久しい今日では,この労働闘争の形でことが起きることはないわけですが,日本社会の根底にあるこの児戯のような構造はいつでも,何らかの形で顔を出しているような気がしてなりません。