アガサの見た世界


今日はお休みだったのですが、色々とありまして…。

さて、最近、NHKでアニメもやっているミステリの女王、アガサ・クリスティーですが、私も全部とはいわないまでも、相当数読んだことがあります。

当然ミステリとしての魅力は十分ですが、クリスティー作品には別の楽しみ方もあるなと個人的には感じております。

それは、作品が書かれた年代の世相や雰囲気を感じ取ることができるというもので、クリスティーの作品は、1920年に「スタイルズ荘の怪事件」でミステリ界に登場してから、エルキュール・ポアロ最後の事件である1975年の「カーテン」、ミス・マープル最後の事件である1976年の「スリーピングマーダー」まで実に長い期間、執筆を続けたため、読み比べをするとその間における社会の変化が実によくわかるのです。
*実は、「カーテン」と「スリーピングマーダー」は、以前に書いたものを出版したもので、本当に最後に執筆したのは、1972年のポアロ物の「象は忘れない」です。

私が感じたのは3点くらいなのですが。

まず1点目は、20世紀前半と後半でのあまりの世相の変化です。
初期の作品では、王朝期の雰囲気が残っており、それがミステリの舞台を作っているのですが、1960年代以降になると、さすがに大衆社会になっており、その中でフィクションの本格ミステリを設定するのに苦労しているのがよくわかります。
クリスティー作品は、上流社会を舞台としているほうが雰囲気が出るものが多いため、その辺に苦労があったようです。
後期の作品では、ミス・マープルが新興住宅地など大衆化した社会や資本主義の浸透による風景の変化、子供の非行の発生などを批判的に振り返り「昔はよかった」みたいに懐古する下りがあります。

2点目が、田舎の邪悪さについて触れることがあります。
これもミス・マープルの言葉なのですが、田舎がいかに陰険かについて田舎暮らしをしているミス・マープルはくどくど言う下りがあるのです。
田舎の様子は、日本でも英国でもあんまり変わらないんだなあと思ったと同時に、物によっては田舎暮らしを賛美しているクリスティーだけに何かあったのかと思いもしました。

3点目なんですが、20世紀前半には日本製品はまだまだだったというのが、とてもよくわかるのです。
1936年のポアロ物「ひらいたトランプ」にでてくるのですが、日本製品というのは質が悪く衛生的でない製品の代名詞であり、それが作品の重要とまではいきませんが小道具となっていました。
この作品で登場したのは、日本製のかみそりでした。

20世紀のイギリスでの世相の変化も、ミス・マープルを嘆かせるに十分だったようですが、世界で一番変化したのは、日本ではないでしょうか。
敗戦の焦土から復興して、世界でこれだけの地位を占めるようになるとは。
日本製品ももはや「安かろう。悪かろう」の代名詞ではありませんし。
しかし、発展した日本は、総大衆社会であったためか、世界の本格ミステリにはあまり舞台として登場しないのです。
ちょっと残念です。

About Arakawa

サラリーマン経験のある弁護士兼社会保険労務士 このサイトでは、ビジネス関連の法律ニュースをもとにして私見をお送りするブログです。 ●筆者紹介 埼玉県立川越高校卒 東京大学法学部卒 東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了(法学修士) 専攻・国際私法、国際取引法、会社法 某企業で法務担当というよりむしろ労務担当 東大ロースクール修了 新司法試験合格 弁護士登録 現在,弁護士兼社会保険労務士です。

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