輝ける瞬間


昨日、休憩時間にラジオを聴いていたところ、学力テストの結果を学校ごとに公開することの是非について視聴者参加の討論番組見たいのがやっていました。

こういった話題だと必ず、平等意識から生じる反対論と学力衰退論争を念頭において必要性を主張する賛成論の対立になり、まず一致を見ることは不可能です。

あえていうなら前者は現実への迎合を嫌うという点から理想的、後者はその反対で現実的と分類できるかもしれません。

もっとも学力の何たるかなどをさておいての議論自体があまり意味がないのですが、この点については別論です。ひとまず、この分類だけさせてください。

公立の小中高をでた我が身を振り返ると、小学校の時は割りと上記でした分類では理想的な色合いが濃かったです。

小学校時代は、勉強を除いて体育や書道、自由研究や工作、絵画など実に様々なことで表彰があり、それらのうちのどれかが得意で表彰される機会を持っている人が多かったです。
私は、その当時はパソコンなどまだなかったので、誇れるものがあまりなく、表彰の対象になっていることは概して不得手だったので、朝礼などで壇上に上がった経験がついぞない日々をすごしました。

そういえば読書感想文コンクールも「子供らしくない」という理由で落選したことがありました。

今から考えると、誰もが自分に自身を持てるように、多様な価値を評価するということだったのかもしれませんが、中学校になるといきなり成績と内申点がすべてになり制服の着用とあいまって急速にモノトーンの日々になったように思えます。
私の目には、小学校時代には完璧だった人が凋落していくように見えました。

これだと小学校のころにやっていたことはまるで現実逃避そのものになってしまうわけで、その辺をどうするかが当初に書いた論争の背景にもあるのでしょう。
現実を受け入れて厳しい世界にするか、こうあるべしと思う情緒的な世界を人為的に広げていくかの対立でしょう。
さすがに後者は理性の濫用でしょう。

子供のためを思ってしているはずのこの大人が行う綱引き、この両極端が同居しているのが現在の日本ですが、このいびつさは子供にはむしろ悪影響なのかもしれません。
フリーター、ニートの問題は非常に大きくなっていますが、経済的にそれでも成り立ってしまうからという背景のほかに心理的な土壌を生んでいるのは、こういった教育環境なのかもしれないと思うようになりました。

About Arakawa

サラリーマン経験のある弁護士兼社会保険労務士 このサイトでは、ビジネス関連の法律ニュースをもとにして私見をお送りするブログです。 ●筆者紹介 埼玉県立川越高校卒 東京大学法学部卒 東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了(法学修士) 専攻・国際私法、国際取引法、会社法 某企業で法務担当というよりむしろ労務担当 東大ロースクール修了 新司法試験合格 弁護士登録 現在,弁護士兼社会保険労務士です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>

post date*

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)