大変な時間がかかりましたが,私も午前2時過ぎに何とか帰宅しました。
まず,帰宅するまでの出来事を備忘録として,残しておきます。
霞が関を午後7時に出発したので,7時間かかりました。
まず池袋まで有楽町線の通ルートに沿って歩き,弟と合流して,東上線が止まっている状況では,自宅は遠すぎて帰れないだろうから,心当たりのあるところに避難する予定でした。
しかし,池袋駅周辺は大変な混雑になっており,携帯などの通信の途絶で弟と落ち合うことができず,池袋周辺を正に放浪する羽目になりました。
そうしているうちに西武が運航を再開したので,本川越まで行くことにして,自宅に弟から連絡があったらそうするように伝えて,本川越に向かいました。
ところが,本川越まで父が迎えに来ることにしたのですが,川越に来るまでの国道が関越自動車道の通行止めのせいもあり,大混雑でなかなか到達できず,加えて,携帯がつながらないので,迎えに出た父と連絡が取れず,夜で暗く見通しがあまり聞かない本川越駅の周囲で落ち合うのは困難を極めました。ほとんど偶然のような感じで弟も追いつき,父とも落ち合えたという状況でした。
こんな混乱に陥ったのは,相互に連絡をするための通信手段がなくなってしまったのが,一番の原因でした。携帯の通話制限をするのは当然わかっていたのですが,メールも制限をかけており,最初は送れない時間帯があり,その後回復してきてもメールセンターに取りに行かないと受信できないようになっていたようでした。そのことに私は比較的早く気付いたのですが,弟と父は気づかず,相互の連絡は皆無のまま川越で落ち合うことになってしまいました。
携帯に頼りすぎの通信手段については大いに反省しないといけないと痛感しました。
ちなみにUQWimaxは完全に使えましたので,それで連絡や情報の獲得ができました。しかし,家族全員がもっているわけではないので,父が迎えに出たらとたんに連絡する手段がないわけで,何かいい方法を考えないといけません。
携帯のメールも制限があったようですが,インターネットの閲覧は比較的できたように思えました。ですので,携帯でPCメールを使うのがいいのかもしれないと今は思っています。
携帯で利用しやすいメールサービスとしては,gmailが便利ではないかなと思いました。
さて,精神的な面なのですが,夢中で時間がたつのは極めて早かったのですが,その間,終始,これは現実のことなのかと自問自答していました。
あまりのショックに,現実感が持てなかったものです。
昨日の大地震発生時,私はビルの7階にいて,大変な揺れに襲われました。立っていられないほどで,鉄筋コンクリートの建物でも壊れるのではないかと思ったほどでした。
ものすごく長い時間大きく揺れていましたので,高いところにいるせいかと思ったのですが,話を聞く限りでは,どこでも同じように長く大きく揺れたようですね。
中越地震などの近年の大きな地震はすべて東京にある職場で経験しており,どれもそれなりに大きく揺れましたが,今回のはけた違いでした。
帰宅困難者など,かねてから言われていた問題がまさに現実化してしまい,仕事柄訓練を受けたことがある身として,非常に反省しました。
実際には予想を上回る事態が起きてしまうことを痛感しました。
また津波の被災者のことを考えると胸が痛みます。
特に,三陸地方の津波というと,会社で私が金を稼ぐ話で出場した業務研究において,まさに今回,津波の被害にあった地域の職場が,津波への対処についての取り組みをテーマにして発表していました。この現状をみるにつけ,あの方たちは無事だろうかと思うと,胸が痛いです。
まさに悪夢としか言いようがないことになってしまいました。