今日は何件か接客の場面でいやなことがありましたが、今から振り返って考えると、むしろ健康を祈ってさしあげたほうがいいようなケースばかりだった気がしてきましたので、いいとします。
少し前のNHKスペシャルで道路公団の歴史を振り返るような内容の回がありました。
我田引水的に道路を作ることに成功したとある市長を代表例として取り上げていましたが、散々陳情した挙句、作れたのは数キロにも満たなかったようでしたので、象徴的に取りあげるにはどうかなと思いました。
それよりも、印象深かったのは、道路公団が借金を急増させて道路を作り始めたのが、昭和40、50年代だったということでした。
記憶をたどると、家族でドライブをするようになった昭和60年代当時では、高速道路網はまだまだで、関越トンネルがまだ対面通行だったり、関越道は首都高とつながっていなかったりでした。最近になって上信越道も開通してきてようやくネットワークといえるようになってきたのに、財政状態はすでにとんでもない状況になっていることを考えると、高速道路網整備は端から無理だったのでしょうか。
日本の国富の大半は不動産なのですが、このせいで地価があまりに高すぎ道路建設が高くなりすぎているということなのでしょうか。
最近、新規開業している高速道路はどれも建設費抑制のせいか、つくりがチャチなのですが、それでもなお大変な借金があることを考えると、不採算という以外にも原因があるのではないかなとか思ってしまいました。