パソコン復旧の時の作業を誤って、2002年からとってあるメールをコピーしてしまいました。受信トレイに同じメールが二通も入っています。
数千通にもなるために、いちいち削除するのも面倒でどうにもできていませんが、同じメールが二通連続して表示されているのは不気味です。
簡単に削除する方法はないものか、思案しています。
さて、総選挙の翌日あたりの日経で、ジェラルド・カーティス教授が、毎回ここまで極端に触れると政策の継続的実行ができないとして、日本に小選挙区制はあわないのではないかとされていました。
その理由として、日本は均質な社会になっているため、どちらかにふれてしまうからとされていました。
アメリカでは市民のかなりの部分に党派色があるために、あまり動きがない事と比較をしての発言であると思われます。このアメリカの状況の当否は別途大いに問題にするべきだと思いますが、日本でも小選挙区制のもとで選挙をしたのがこの2回だけではなく、それ以前にも実績があるのはご存知のとおりです。
その際は、比較的動きのない結果を生んでいたのにこの二回が極端になってしまうのはなぞのところです。
私は郵政解散と今回の政権交代解散の二回が追い風見たいのがすごく特殊なのではないかと思っていたのですが、もしかしたらそれより前の選挙のときと比べて、農業従事者や土建業従事者など本来は組織化されていたはずの人たちが職を離れて無党派にくくられるほうに入ってしまったのではないか、団塊の世代も退職を迎えて、年金生活者という新しい無党派になったのではないかと思えてきました。
無党派層というと組織化されていないサラリーマン世帯とか若い人を考えてしまいますが、仕事上投票に関してしがらみがある人たちと考えれば必ずしも若い世代とは限らないのかもしれません。
もしかしたら、日本は歳出削減と高齢化の中で、無党派層が増えてしまっているのかもしれません。それをさして、均質な社会ということなら確かに小選挙区制は大変な反動があり、長期的には問題になるかもしれません。
しかし、大選挙区制とか完全比例代表制とかにすると小党乱立で政治が不安定になるでしょうから、もっと困ることになると思われます。
今回のことで担い手が一巡してしまう以上、熱狂のおきようがないということで、やはり今回限りになるのではないかとも考えられ、小選挙区制の定着はもう少し様子を見ていいのではないかと思います。