漫画家雷句誠氏が小学館を提訴 の事象を理解するための前提となる点について整理をしておこうかと思います。
あまりマンガの業界に詳しくない方なら、素朴な感覚として、一度雑誌に掲載した原稿について何で後からとやかく言えるのかと疑問に思われるかもしれません。
対価を受け取ったらそれで終わりではないかというのは自然な発想です。
その理由は、マンガはある種のライセンス契約で雑誌に掲載、その後一度原稿を返してもらってから再度単行本として出版する契約になっているからであり、著作者は漫画家本人であり、原稿の所有権も漫画家が持っているからです。
この点についてもマンガは著作物なんだから、著作者のもので当たり前だと思われる方もいるかもしれませんが、著作権法には法人著作の制度があり、法人を著作者とすることができます。
ですので、そうせずに漫画家本人が著作者だというかたちをとっているのは法的に自明なのではなく、慣行になっていはいますが当事者の私的自治の結果選択された法的形式だというのが妥当でしょう。
もっともマンガ製作の実情から、出版社の関与の程度からはどうみても漫画化本人を著作者とするほかないということはいえますが、これは鶏が先か卵が先か的な話でしょう。法人著作とする気があるのならそのような内実を整えればいい話ですから。
事実、アメリカの有名なマンガ作品は法人著作が多く、担当漫画家が交代しても延々と続いているものが多いです。
よって、雷句誠氏の請求の原因は自分に所有権があるというところにあるわけです。
会社や担当者の問題は、紛失の原因ではあるかもしれませんが、請求の筋の中では本筋ではないといえましょう。
さて、漫画家個人を著作者としておく法的処理の慣行は、ビジネス利用の面だけ考えると、実はかなり問題を抱えています。
日本の著作権法は世界でもかなり突出した著作者人格権を有しているので、著作者に同一性保持権等があることになります。
もし行使されてしまうと、およそ機動的な著作物の利用などおぼつかなくなります。
実際には出版社との契約で不行使特約を結んでいるでしょうし、明示されていなくても雑誌に載せるとか単行本にするという契約内容から当然に不行使の黙示の合意をしていると評価できましょうが、当該漫画家に包括承継となる原因が生じてしまったときに一気に問題が顕在化してしまうことになります。
実はかなり手探りであり、企業との絡みとかで問題を生じさせてこなかったという面が多分にあります。
本件は、そういう問題を生じさせてこなかった構造が崩れ始めたのかもしれないなという感想を持てる一件です。