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昨日、痛みに耐えつつ寝ている間に達成したようです。
昨日の公法訴訟システムで石川教授が、利益衡量論をやたらと使うと法律論にならないという話をされました。
これと全く同じ話を私は東大入学したてのころ聴いたことがあります。
それは内田教授の民法第1部の冒頭の話でして、対立する利益を指摘して、利益衡量をしてこちらの勝ちみたいな答案が多いが、あれは法律の答案ではないと苦言を呈されていました。
要するにおよそ法律論が展開されないからで、結論が先にありきで、衡量の結果といってみてもおよそ説得力がないという話でした。
石川教授も学生のころ塩野教授から同じ話をされたそうなのでいつでも法律教師の悩みの種なのでしょう。
利益衡量論の祖である星野英一名誉教授は、自身の頭の中に価値秩序がしっかりとあるため、衡量をしても大丈夫なわけですが、そういうのがないのに手法だけ真似ると大変なことになるということでした。
しかし次元の異なるものを平気で比較してしまう感性は根付いてしまっているため、もはや脱却は難しいのではないでしょうか。
刑事訴訟など要するに比例原則なのですが、どうしても事案の重大性に目が行って捜査の必要性を優先させるきらいがあります。
次元の異なるものを比べているからおかしいという指摘もありましたが、他にやり方が思いつきませんよね。
芦部説にかわって新時代の憲法学が広まったとして、仮に石川説がみんなに受け入れられたとしましょう。多分それはみんなで比例原則だとか人格権との価値だ距離だとか言い出すだけで、あんまり実質的な人権論にはならないかもしれませんね。