ローマ世界の終焉


ローマ人の物語の最終巻「ローマ世界の終焉」が発売されたので、ネットで購入したところ、この日の10時39分に注文したのに夕方19時にはもう届きました

早く読めてありがたいことですが、あまりのレスポンスの速さに驚きました。
配送料もかからないのですから、買うものが決まっている場合は、店頭に行く必要はまったくないことを改めて認識しました。

さて肝心の内容ですが、国家(ローマ時代は国家の概念が生まれる前なのでこの表現は正しくないかもしれませんが)は融解するものなのだということを知りました。

気がついたら、国境が国境ではなくなっているというような感じで、手のうちようもなくなっているという感じで西ローマ帝国はなくなってしまいました。

そのそもの発端として、なぜローマ帝国が東西分裂したかですが、世界史で必ず覚える395年に死んだ統一ローマ最後の皇帝テオドシウスは、息子二人に東西を分担して統治するように求めただけのようで、別に帝国を分割する意図はなかったということをはじめて知りました。
ディオクレティアヌス帝以降、ローマ帝国は皇帝が複数で担当地域を分割して安全保障に当たるというシステムを恒常的ではないにせよ導入しますが、テオドシウスもこの方式をとることを意図していただけのようです。

それが分割になってしまうのは、東方の高官が西方からの分離を望んだだけ徐々に分離が進んでいったということのようです。
なぜそう望んだかですが、東西分裂後のローマ帝国で西がすぐに滅び、東は長命を享受したのは、東のほうが豊かだったからというのが教科書的理解ですが、実際には西というかローマの方が豊かだったようです。
ここは私見ですが、ということは、なぜ東方が分裂を望んだかというならば、宗教の問題しかないでしょう。

東ローマ帝国はキリスト教の色彩が西よりも強く、しかも住民にあくなき議論をするのが大好きなギリシア人を抱えていたため、異教のメッカであったローマから逃れたいという思いがあったのかもしれません。

「ローマ世界の終焉」を読んでいて感じるのは、十字軍の始まるはるか以前であるにもかかわらず、中世並みの宗教的思考が随所に見られ、それが行動に反映している点です。

そのため安全保障を念頭にしていたローマ帝国なら絶対にしなかったような愚挙が次々行われていって結局、ローマ世界の半分は融解し、残り半分も教条的な世界観の帝国が残っただけでした。

これはもはや人類世界の悲劇以外の何者でもないでしょう。
合理的な思考を妨げるのは教条であり、それがまかり通る世界がいかに恐ろしいか、改めて感じたところです。まだ活用できる人材はいたのに、それらを排除するときにはかならず教条が先にたつのですから。

ここからは余談ですが、私が好きでやっているゲームの「ローマ:トータルウォー」は拡張パックの「バーバリアンインベージョン」では、蛮族の侵入が相次ぐ東西ローマ帝国の時代をプレイできます。
ゲーム開始当初からローマ帝国は東西分裂しているのですが、開始年は395年ではなく、363年のスタートになります。
歴史の教科書と異なっていますが、この年をセレクトしたのにもそれなりの理由があります。
363年は「背教者」ユリアヌスが死んだ年なのです。
開発メーカーであるアクティビジョンの世界観では、ユリアヌスが統一ローマ最後の皇帝にふさわしいと思ったのかもしれませんね。

About Arakawa

サラリーマン経験のある弁護士兼社会保険労務士 このサイトでは、ビジネス関連の法律ニュースをもとにして私見をお送りするブログです。 ●筆者紹介 埼玉県立川越高校卒 東京大学法学部卒 東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了(法学修士) 専攻・国際私法、国際取引法、会社法 某企業で法務担当というよりむしろ労務担当 東大ロースクール修了 新司法試験合格 弁護士登録 現在,弁護士兼社会保険労務士です。

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